マレーシア人機械設計エンジニアの葛藤「日本留学と自国でのキャリア」

日本で経験した知識や経験を祖国に還元したい。そのような思いを抱いて、日本で留学・就職をする外国籍タレントもいらっしゃいます。残念ながら、日本で留学・就職をしても祖国へ還元する機会がない方もいらっしゃいます。今回は、あるマレーシア人機械エンジニアの方のインタビューを元に「日本留学と自国でのキャリアの葛藤」についてお話しします。

「Look East Policy」から急増したマレーシア人留学生

最近は、インドネシアやベトナムの留学生や労働者が著しく増えている印象を受けますが、留学生交流の面で見るとマレーシアの方が歴史があります。マレーシア人留学生の日本への送り出しが活発になったきっかけが、1982年に当時のマレーシアの首相であるマハティール氏が打ち出した「Look East Policy(東方政策)」です。戦後、壊滅的だった日本が高度成長期を経て復活した原動力である日本の高度な知識や技術、労働倫理や経営哲学などをマレーシア人学生に学んでもらうことを目的としていました。したがって、一定期間、日本での勉学や実務経験を経て帰国し、マレーシアの発展に寄与することを政府は希望をしています。

「Look East Policy」を提唱したマハティール前首相
代表的な留学プログラム「JADプログラム (Japan Associate Degree Program)」

JADプログラムは、予備教育と大学で専門基礎教育をマレーシアで行い、大学3回生時に提携先の日本の大学へと編入します。マレーシアで3年予備教育・大学、日本の大学で2年間という流れが一般的です。コースは機械工学コースと電気工学コースの2コースに分かれ、以下のようなカリキュラムを履修します。(図:ウェブマガジン「留学交流」2015年5月号より)プログラムの由来は日本による円借款事業として始まったものの、様々な経緯を経て100%マレーシア出資で起業家開発省傘下のマラ教育財団の管轄になっています。

2回生のカリキュラム。EEは電気エンジニア、Mは機械エンジニア
マレーシア人機械設計エンジニアRさんの葛藤

日本の明治大学理工学部機械工学科に3年生で編入し、新卒で大手ドイツ系機械設備メーカーの設計エンジニアとして就職したRさん。マレーシアの予備教育では、学年で次席を取るほど学業熱心で、またロボットコンテストに出場するなどものづくりへの情熱には目を見張ります。日本で3年間、同企業でキャリアを積み、マレーシアへの帰国を考えていました。しかし、そこで彼が口にした言葉は、次のようでした。

「マレーシア行ったら、エンジニアとしてのキャリアは続けられないかな」

色々理由を深ぼっていくと、そこにはマレーシアの産業的な課題があったのです。

・マレーシアには外資の工場があるものの、設計や開発の機能はその外資系企業の本国で行われるため、マレーシア国内では機会が少ない

・仕事機会があったとしても、給与が高くなく、留学をしたメリットを生かすことができない

・国内の開発プロジェクトも海外企業に発注したり、政権ごとでプロジェクトが停止するケースが頻発し不安定である

・日本語話者として日系企業でカスタマーサービス(電話やメール対応業務)をした方が給料が数倍高い

日本に留学しキャリア経験を積んでも、自国でキャリア転換をせざるを得ないやるせなさ、祖国に還元できない無念さを抱いたまま、その彼はマレーシアに帰っていきました。

JADプログラム出身の機械エンジニア5名とメガウェブ トヨタ シティショウケースへ。日本のものづくりの話が絶えません。

こういった問題は、マレーシアのみならずインドネシアなどでも起きているようです。祖国(ここではマレーシア)に拠点がある日系の企業であれば、祖国への「転勤」という形を取ることができ、日本と祖国への貢献ができるかもしれません。