バンドン工科大学に次ぐインドネシアの工科大学「スラバヤ工科大学 / Sepuluh Nopember Institute of Technology (ITS) 」

今回のコラムでは、インドネシア・ジャワ島東部の大都市スラバヤにある、スラバヤ工科大学についてご紹介します。

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スラバヤ工科大学設立の歴史

スラバヤ工科大学は、1952年にインドネシア共和国初代スカルノ大統領の指示により作られたPII (Persatuan Insinyur Indonesia, インドネシアエンジニア組合) の東ジャワ代表の発案により、1957年に設立された高等技術専門学校が前身です。1960年にはインドネシア政府により正式に国立大学として認定され、その名を現在の”Insutitut Teknologi Sepuluh Nopember” とし、現在ではインドネシア人の間で略して”ITS”と呼ばれています。

2023年発表のQS World University Rankingによると、スラバヤ工科大学はインドネシア国内の中では第6位にランクインしています。工科大学のみに絞ると、バンドン工科大学に続き2位になります。スラバヤ工科大学のランキングの評価のためのスコアは毎年上がり続けているそうなので、2024年のランキングでは順位上昇が期待できるかもしれません。

大学名の由来

スラバヤ工科大学のインドネシア語名であるInstitut Teknologi Sepuluh Nopemberは、訳すと「11月10日工科大学」です。

初代学長のAngka Nitisastro氏が1957年に学校を設立した日にちが11月10日でしたが、この日にちには深い意味があります。1945年のスラバヤの戦いです。第二次世界大戦の終結により独立国家になったはずのインドネシアに英軍が旧日本軍の武装解除などの名目で上陸しました。もちろんこれは表向きな名目で、オランダ軍と共に、インドネシアはオランダ領に戻るべきだと言ってきたのです。

これを受けて英軍とインドネシア自由兵との激しい戦闘がスラバヤで繰り広げられました。スラバヤ工科大学を正式な国立大学にできるよう支援した元外務大臣のRuslan Abdulgani氏と、正式に国立大学にすることを承認したスカルノ初代大統領はどちらもスラバヤ出身です。そのためスラバヤという街で繰り広げられた戦闘に深い思い入れがあり、国立大学として認定後の大学名も”Sepuluh Nopember”を起用。現在のインドネシア語辞典では11月はNovemberと表記されますが、あえてスラバヤの戦い当時の綴り、Nopemberが起用されました。

その前年1959年には、スラバヤの戦いで勇敢に戦った兵士をたたえ、その日を忘れないようにするため、11月20日は国家英雄の日となっています。

スラバヤの戦いに関するブログはこちら

スラバヤ工科大学の学部と入試

スラバヤ工科大学には土木工学、科学、産業技術、デザイン・デジタルビジネス、海洋技術、電気・情報技術、医学部の七つの学部があります。2023年のデータによると、志望者の大部分が電気・情報技術学部を志望していることがわかります。

電気・情報技術を学んだ学生が将来就くことのできる職業には、ソフトウェア技術者、ITコンサルタント、ウェブエンジニア、コンピューターネットワークエンジニア、プログラマー、ゲーム開発者、が含まれることが、現代の情報社会世代の学生たちにこの学部が人気な理由かもしれません。

スラバヤ工科大学受験には、SNBP (推薦)、SNBT(国立受験)、Mandiri (大学独自の入試)三種類が用意されています。2024年度は、1月~2月にかけて出願・試験が行われ、3月に末には結果が発表されます。

スラバヤ工科大学の卒業生

スラバヤ工科大学はこれまでに、国営石油会社Pertaminaの元代表取締役(複数人を輩出)、国営ガルーダ航空の元代表取締役など、インドネシアを代表する企業のトップ人材を輩出しています。また政界にも、国家汚職撲滅委員会(KPK)の元委員長や、国会議員、県知事、市長など卒業生が多く活躍しています。ビジネスや政界以外では、スラバヤ工科大学出身のミスインドネシア(2007年)も。

実は今回のコラムを書くにあたり卒業生の名前を見ていて、最も目を引いたのは、以下の若き実業家です。2013年にスラバヤで設立された会社、Dusdukduk の代表、Muhammad Arif Susanto氏です。スラバヤ工科大学出身の同氏は、ダンボールを再利用し強度の高い家具を作る、というアイデアでビジネスを始めました。

現在では家具にとどまらず、梱包、デコレーション、おもちゃなど、幅広い製品を製作・販売しています。2021年度インドネシアのヤングビジネスリーダーに選ばれました。Dusdukduk社のビジネスへの注目はインドネシア国内にとどまらず、世界レベルでも注目されています。あのフォーブス紙が選ぶ、”30 Under 30”に選出もされています。既存のアイデアにとらわれない、クリエイティブな視点で生み出された次世代のエコなビジネスを展開する若い実業家と認められたのでしょう。

先述の【大学設立の歴史】の部分で触れたように、オランダと日本による長きに渡る植民地支配から独立して間もないころに、スカルノをはじめとする国のリーダーたちが技術の分野に特化した、国の未来を担う人材育成の為に作られた大学がスラバヤ工科大学です。現在国内外で活躍しその才能が認められる人材が実際に輩出されているのを見ると、とても感慨深い思いです!

杏子スパルディ
2003年、留学先のアメリカでインドネシア人たちと出会い在米期間中インドネシアコミュニティにどっぷりとハマる。帰国後インドネシアに単身渡り現地採用で外資・日系企業にて合計14年勤務。現在はフリーランスのインドネシア語講師、コラムニストとして活動中。インドネシア人夫と小学生の子供二人と西ジャワ州ブカシ在住。「インドネシアと日本の架け橋に」をビジョンにオンラインコミュニティ、メラプティ交流会運営。異文化交流会、おしゃべり会、無料インドネシア語レッスンなど毎月開催中。
主な実績:
世界で働く女性のためのポータルサイト「世界ウーマン」インドネシア担当コラムニストにて毎月コラムを執筆・掲載
インドネシア人採用の専門メディア 「アジアンHRジャーナル」にて不定期でコラム執筆・掲載